RitsukiFujisakiGallery

“TABLE MANNER LIFE, SAVE, AH~ #8” by YAGI Eri from 20230909 to 20231001


 

 

 

Ritsuki Fujisaki Galleryでは、9月9日(土)から10月1日(日)まで、八木恵梨による個展”TABLE MANNER LIFE, SAVE, AH~ #8”を開催いたします。

八木は1994年沖縄県宮古島市生まれ。2017年武蔵野美術大学油絵学科卒業、19年東京藝術大学大学院油画技法・材料第1研究室修了。主な個展にLIFE, SAVE, AH~ #6 (Token Art Center, Tokyo, 2022)、I AM A GOOD GIRL(LIFE, SAVE, AH~ #2 (Art Center Ongoing, Tokyo, 2019)、LIFE, SAVE, AH~ #1 (四谷未確認スタジオ, Tokyo, 2018)など。

現在、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程に在籍。

作家ウェブサイト

https://yagieri.com/

 

本展示では、2018年から取り組みを続けている”LIFE, SAVE, AH~”シリーズの8回目として、新作が展示されます。

※ “LIFE, SAVE AH~”シリーズについては下記のToken Art Centerでの展示テキストをご参照ください。

https://token-artcenter.com/archive/16_yagi

 

本展示のタイトルの一部、”Table Manner”は、断片的なイメージを配列する場所としての盤上と、その盤上での規則と制約から来ていると八木は言う。

一般に知られるテーブルマナーは13世紀に西洋の貴族文化の中で登場した。

大皿で提供される料理を切り分け、来客者に振る舞う仕草はバラバラにされたビーチの監視台を様々なアングルから提示する本展示の構成と重なる。

 

8/12(土) 彼女にとって制作は、没入とアイロニーの二つの状態を行き来して行われると言う。何かの考え/アイデアへの陶酔とそれをメタ的に観察する道化のような態度である。

ここで彼女の制作を独自のものとさせていることは、一つの夢に固執する一方で、その状態を観察する自分、そしてその現象を観察する自分、そしてその現象を観察する自分、そしてその現象を観察する自分、という無限後退を現代の人々の振る舞いや現象と意識的かつ無意識的に重ね合わせてしまっていることであろう。そして彼女はその現象自体を現代において逃げきれないものとして肯定している

陰謀論者は全てに繋がりを見出してしまう、その心理状態を八木はアイロニカルに再演する、と同時に没入する。

 

展示では、切り取られた監視台が描かれたタブロー(tableau)が等間隔に(一定のmannerに従って)配置されている。

そしてそれはホストの手によって切り分けられ、それぞれの場所に取り分けられる。我々来客者はその順番や配置、描かれたもの、繋がりに何かを感じ取ってしまうかもしれない。線はやたらと緻密であり、ある部分は意図的にクローズアップされている。

整然と並べられた様子に我々は必然性を感じてしまう。

 

八木にとって、とても有意味であるかも知れない、没入とアイロニカルな観察への対象の欠片と、その間を揺れる人影を我々は目にする。

 

旧約聖書:箴言のうちに、下記の記述がある。

 

事を隠すのは神の誉であり、事を探るのは王の誉である。(旧約聖書:箴言:25章: 2節 )

It is the glory of God to conceal a matter, but the honor of kings is to investigate a matter. (Old Testament: Book of Proverbs 25:2)

 

神秘は神の特権であり、王は神秘に限りなく近づき、民を導くことを求められる。 ここで、神と同化した王を仮想した場合、神秘を作り、また自身が神秘であると同時にその神秘に触れることが出来ないというパラドックスが生じる。 つまり、無限後退に見えていた構造、没入とアイロニーを繰り返す八木の態度は、全と全の外側という意味において、実は二枚の合わせ鏡を覗いているような状態と言える。

 

無論このパラドックスは、神∉神以外の全てという前提と矛盾するために生じるが、物理的には無限後退や合わせ鏡は存在し得ない。(無限の物質や完全に平行な鏡は存在しない)

換言すると、神 (=超越的存在)というのは形而上での論理に要請された存在であり、形而下では存在し得ない。

逆説的に、本展では形而下に存在せざるを得ない誤謬や誤差といったものが、限りなく精緻な筆致によって浮き彫りにされるだろう。